映画『黄龍の村』が「ひどい」と言われる理由は、戦闘シーンのクオリティが低く、リアリティに欠ける演出や脚本が観客の期待を裏切るからです。さらに、ストーリー展開が単調で、恐怖や緊迫感が薄いことも批判の要因となっています。
気まずいシーンとして、阪元裕吾監督の演技指導による登場人物たちの過剰な演技が挙げられます。特にシリアスな場面でもオーバーな表現が目立ち、観客に違和感やコメディのような印象を与えることが指摘されています。
この記事ではホラー映画のネタバレ考察を専門としている「ホラーズシネマ編集部」が、映画『黄龍の村』の疑問や謎をわかりやすく考察・解説していますので、ぜひ最後までご覧ください。
映画『黄龍の村』のネタバレ考察
ひどいと言われるのはなぜ?
『黄龍の村』が「ひどい」と言われる理由は、作中の戦闘シーンのクオリティが低く、ホラーやアクションとしての緊張感に欠けるためです。演出がチープに見える点も批判されています。
主人公たちと村人たちの戦闘シーンでは、アクションの動きが単調でリアリティがなく、観客に違和感を与える場面が多く見られます。また、ホラーとしての恐怖や驚きの演出が薄く、全体的に迫力不足と感じる観客が多かったことが理由です。これに加えて、演出や脚本の粗さが目立つため、ストーリーの盛り上がりに欠け、「ひどい」と評価されてしまう要因となっています。
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死亡キャラは誰?
映画『黄龍の村』では、グループのリーダー格である北村優希(キャスト:水石亜飛夢)を含む複数のキャラクターが死亡します。北村は村人によって射殺されるという結末を迎えます。
物語では、閉鎖的で異様な村である「龍切村」に迷い込んだ若者たちが次々と命を落としていきます。北村は仲間たちを引っ張るリーダー的存在でしたが、村人の異常な行動に巻き込まれ、最終的には村人に銃で撃たれて死亡します。他にも、村の狂気に取り込まれる形で犠牲になるキャラクターが複数存在し、物語が進むにつれて絶望的な状況が強調されていきます。
これらの死は、村の異様さや閉鎖的な恐怖を象徴する重要な要素となっています。
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気まずいシーンの内容は?
映画『黄龍の村』には、阪元裕吾監督の独特な演技指導や表現が強く反映されており、その「あくの強さ」に気まずさを感じる場面があると言われています。
全体を通して、登場人物たちの演技がオーバー気味であるため、緊張感や恐怖が薄れ、逆にコメディのように感じてしまうことがあります。特にシリアスな場面で過剰な演技が目立つと、観客にとっては違和感や気まずさを覚えることがあり、物語の没入感を損なう要因となっています。また、村人たちの独特な言動や演出が観客の期待する「ホラー映画」とは異なり、戸惑いや居心地の悪さを感じさせるシーンが存在します。
この演技や演出のクセが強すぎる点が「気まずい」と感じられる要因です。
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「助けて」のメモの考察
「助けて」と書かれたメモは、谷村真琴(キャスト:石塚汐花)が兄の谷村睦夫(キャスト:大坂健太)に手渡したものであり、村の不気味さや危険性を強調するための演出だと考えられます。
このメモは、閉鎖的な「龍切村」が外部と隔絶され、異様な状況にあることを象徴的に示しています。真琴は村の異常な環境や、兄を救いたいという必死な気持ちからこのメモを託しましたが、その行動自体が観客に村の不気味さや圧倒的な孤立感を印象付けます。さらに、このメモが伏線となって物語の緊張感を高め、谷村睦夫が村の危険性に気付くきっかけにもなっています。
「助けて」という短い言葉が、村の狂気と絶望的な状況をシンプルに伝える重要な要素となっています。
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グロいシーンはある?
映画『黄龍の村』には、流血や人が死ぬシーンが描かれているものの、過度なスプラッター表現や残酷な描写は控えめです。そのため、グロテスクさは抑えられています。
物語の中では、銃で撃たれる場面や戦闘中に負傷するシーンがあるため、一定の流血表現は含まれていますが、ホラー映画に見られる過激なゴア描写はほとんどありません。その代わり、村の閉鎖的で異様な雰囲気や登場人物たちの絶望的な状況が、心理的な不安や恐怖を引き立てる形で表現されています。
そのため、スプラッターが苦手な観客でも比較的観やすい内容となっており、グロさよりも村の狂気や雰囲気が怖さを演出しています。
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おびんたわらの正体は?
おびんたわらの正体は、十兵衛(キャスト名:一ノ瀬ワタル)という男性です。彼は幼少期に村に連れてこられ監禁され、「おびんたわらさま」として祀られる存在となりました。
十兵衛は村人たちによって神聖化された存在として扱われ、村の狂気と風習を象徴するキャラクターです。幼少期から監禁され続けた結果、外見や行動に異様な変化が生じ、村の信仰の対象として崇められるようになりました。この設定は、村が持つ閉鎖的な風土や狂信的な文化を浮き彫りにし、「おびんたわらさま」がただの怪物ではなく、人間が作り上げた恐怖の象徴であることを示しています。
おびんたわらは、物語の中で村の異常性を強調する存在として描かれています。
演技下手と言われるのはなぜ?
映画『黄龍の村』が「演技下手」と言われる理由は、登場人物たちの表情や演技に恐怖や緊張感が欠け、ホラー映画としてのリアリティが薄れているからです。過剰な演技も違和感を与えています。
特に、登場人物の感情表現が平板であり、追い詰められた状況や恐怖に対する反応が乏しく感じられるシーンが目立ちます。一方で、村人たちや登場人物の演技が過剰すぎてコメディのように映る場面もあり、ホラーとしての緊迫感を削いでしまっています。作品全体の演出や演技指導が不自然で、観客が物語に入り込めない要因となっていることも批判の一因です。
このため、観客の期待する恐怖やリアリティが感じられず、演技下手という評価に繋がっています。
怖い映画なのか?
映画『黄龍の村』は、作中の「龍切村」が閉鎖的で暗く、外部から完全に隔絶された様子が描かれており、その雰囲気が恐怖を感じさせる要素となっています。
村の不気味な設定や独自の風習、異様な村人たちの存在が観客に心理的な不安感を与えます。特に、外の世界と完全に隔絶された環境や村の狂気に巻き込まれていく主人公たちの絶望的な状況が、物語全体に恐怖を生み出しています。一方で、演出や演技の過剰さがホラー映画としての怖さを中和してしまう部分もあり、観る人によっては「怖くない」と感じることもあります。
そのため、心理的な閉塞感や異様な雰囲気が好きな人には怖く感じられる作品です。
エンドロール後のシーンが面白い?
エンドロール後のシーンでは、梶原健人(キャスト:伊能昌幸)が便利屋となり、「おびんたわら」が助手として働くというコミカルなカットが挿入され、ユーモアが加えられています。
このシーンは、本編のシリアスで不気味な展開とは打って変わって、コメディ要素を取り入れた描写となっています。「おびんたわら」が助手として便利屋の仕事を手伝う様子は、緊張感のあった物語の後に肩の力を抜かせるような面白い演出です。シリアスな雰囲気のまま終わることなく、意外な展開で観客に笑いを提供することで、作品の印象を軽くし、エンドロール後のカットが「面白い」と評価されています。
このギャップが観客に意外性を与え、作品の締めくくりとして印象に残る要素となっています。
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